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その他のエピソード

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シンガーの創設者や製品の販売方法など、
シンガーに関するいろいろなエピソードをご紹介します。
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Isaac Merritt Singer
6141_ext_04_0.jpgシンガーの創立者、アイザック・メリット・シンガーは1811年にアメリカ合衆国のニューヨークで、貧しいドイツ移民の8番目の子供として生まれました。不遇な少年期から40代までの大半を旅役者として生活していましたが、当時から機械に対する非凡さを示し、削岩機や切削機器の発明もしていた様です。ある日、実用としては未完成なミシンを見かけた事から、その将来性に着目し改良を試みます。
6141_ext_07_0.jpgその結果、従来品を遥かに凌ぐ実用機を作り出し、友人の協力資金40ドルを元に、1851年にミシン製造・販売会杜〈I.M.Singer社〉を創立しました。直後に、特許権の侵害で訴えられ〈ミシン戦争〉と呼ばれる事態を引起こす危機もありましたが、この事件が後の共同経営者、弁護士エドワード・クラークとシンガーを出会わせました。事業は好調に伸長し、1863年には会社を再編〈シンガー裁縫機械会社〉を設立します。晩年、事業から離れ欧州に移り住んだI.M.シンガーは1875年、イギリスでその生涯を終えました。
The installment plan
現在私達にとってお馴染みになっている‘月賦購入制度’つまり分割払いですがこの方式を考案したのが、実はシンガーなのです。当時ミシンの価格は約100ドル、一般家庭の平均年収の1/5にあたる大変高価な物でした。“多くの人に、なんとか安くミシンを”という願いから、中間マージンを省いて価格を下げる直売方式を工夫した結果、画期的な月賦販売が考案されたのです。‘信用販売’という企業としても大きな冒険でしたが、新聞や雑誌に見開きの大きな広告を出す等、ミシンの認知度を上げるシンガー社の努力もあって、頭金たった5ドルで誰もがミシンを手に入れる機会が訪れました。 
The Singer Building
6141_ext_04_2.jpg1908年、“財政の天才"と呼ばれた五代目社長サー・ダグラス・アレクサンダーの時で、シンガー社の経営部門として、ニューヨーク、ブロードウェイ149に建設されました。当初は41階建てでしたが、後に増築され47階建てとなりました。その高さは約186メートル、世界初の超高層ビルとして地元ニューヨークっ子は勿論のこと、世界中の度胆を抜いたのです。その先進性に反して、外観は赤い煉瓦造りで古典的な美しさを持ち、老舗シンガーの象徴として、その後54年間の長い間人々に親しまれました。
The Singer Clock
6141_ext_04_3.jpgスコットランドのキルボーイ工場は1867年、合衆国エリザベスポート工場は1873年にそして1883年には英国にクライドバンク工場が、相次いで建造されました。世界市場への生産体制を整えたのが、まさにこの時期です。とりわけクライドバンクの本部社屋には当時最大の時計を持つ、巨大な時計塔が併設されていました。直径6メートル以上、短針1.83メートル、長針2.6メートル、重量1トンの時計なんて、想像できるでしょうか?この時計塔もN.Yのビルの様に、長い間クライドバンク市民の親交の象徴として親しまれましたが、残念な事に本部の閉業とともに解体されてしまいました。