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いろいろなミシン

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創業当時からシンガーで発売されたミシンの代表的なものをご紹介します。
家庭用から業務用まで変化し続けています。
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The first machine
6138_ext_04_0.jpg発売された1号機は、梱包箱にそのまま組み立てが出来る様になっていました。組み立てといっても踏板とハズミ車を連動させるだけの簡単なものだったのです。ポスターが梱包箱の外側に貼られた木箱は、そのままシンガー初のキャビネットとなりました。
1号機型ミシンの重量は30Kgもあり、四角なヘッドに垂直のアームが組合わさった、大きなミシンでした。ハズミ車を1回まわすと一針縫目ができます。ハ ズミ車(4Kg)を外して、ギアのハンドルに足踏み装置を組合せて使うと、小歯車は3回転し、針棒と布送りも3回上下する仕組みで3針目縫えます。これが ミシンの基本となりました。
The early machines
6138_ext_04_1.jpg1856年には〈タートルバック〉として知られている美しい小型のミシンが、初めて家庭用に設計されました。 このミシンは張り出したシャフトにより、往復するカマと縫針を動かす様になっています。 踏板の上下運動から、より多くの動力を伝達できるよう設計され、幅広のベルトを通って回転ホイールに動力が伝わる仕組みになっていました。 
New Family Model
6138_ext_04_2.jpg改良を重ねて、1865年にニューファミリー型ミシンが生産され、1890年頃までには400万台以上が、デザインを変えて世界中で販売されました。下糸の動くボビンケースは長舟型シャトルと呼ばれ、ミシンの下側を左右に往復して、ハンドル1回転で3針縫える仕組みです。歯車の数は69:23で足踏み式ミシンとしても工夫されていました。 
Industrial Machine
6138_ext_04_3.jpg一見空想にしか思えない"Class41"は、一回の操作で2~12列の平行なステッチが出来るミシンです。3本~12本の針を2~13/32インチ(約5~1cm)内で、好きなように位置を変えることができ、ステッチの間隔は針の付換だけで変更でき、他の調節は一切必要ありません。このミシンの2つのカマの間隔は最短で3/16インチ(5mm)なので、カマには下糸のボビンを容れることができません。下糸は糸巻からカマに送られます。糸巻が全部使われて空になるまで、糸が常にカマの中央を通る様に誘導するので、紡錘状の糸巻は外側の端からではなく、中央部から糸を送る方式でした。
"Standard" Series
6138_ext_04_4.jpg1号機の発表の翌年、1852年に1号機を改良したミシン、"No.1 Standard"が発売されました。基本的に工業用として開発されたミシンで、1880年までに何十万台と売れました。1854年には、"No.2 Standard"がその後を引き継ぎます。"No.1"と外見上はよく似ていますが、作業によって回転、振動、バネ式と、"押さえ"を交換する事ができました。重量はNo.1よりは重く、アームの下の空間がより広く改良されていました。そしてその2年後の、1856年には、この"No.3 Standard"が発売されます。これも内部機構は、前のものとほぼ同じですが、馬具や馬車の装飾等の革製品を縫うために特別に設計されたもので、アームの下に18インチのスペースが取られ、その後の矩形のベッド形状の定番となりました。
Class 15 series
6138_ext_04_5.jpg15種型ミシンは、長年に渡り改良を重ねながら生産されたロングセラーです。中でも、15U150型は1960年に宇都宮工場で生産されました。写真の15種46型は、明治から大正期にかけて日本に輸入された物で、モザイク風にデザインされた帆立貝の柄がブルーだった為"青貝ミシン"と呼ばれました。カム天秤とセントラル型ボビンケースを使い、丈夫な縫目が得られ、家庭用ミシンとして重宝されました。明治43年には即金で128円(分割160円)、大正10年には3個引き出しテーブル付きが即金で144円(180円)という記録が残っています。